ディレクターズワークショップ2018大阪 「初日」

 

AM9:30、大阪ウイングフィールドに到着。

受付を済ませ、空いている席に座る。

辺りを見回すと、以前のDWSに参加していた人々もいる様子。時々顔見知り同士が挨拶していたり。初参加の私は全ての人が初対面。そもそも大阪に来るのも人生初めてで、緊張。

運営の方から、今のうちにリラックスしておいた方がいい、今後そんな余裕は無くなるから…と声がかかる。

一体、何が起こるというのだろう。

 

 

初めに、演出枠の参加者によるプレゼンテーションがあった。

これは、「ヨーン・ガブリエル・ボルクマン」を「どう見せるのか」「どう読んだのか」「何が面白いという方針のもと演出するのか」を説明する為のプレゼンである。

 

 古後さん

「これは過去にとらわれている人々の話であり、人間同士が分かり合えない姿は現代にも通じるのではないか。ボルクマンとエルラの対比を見せたい。

舞台上にテントを立てる。これは衰退のイメージである。寒さを感じさせる演出を。」

 

泉さん

「野望の為に愛を、人生を売ってきたのではないかという、ボルクマンの葛藤と後悔が書かれた戯曲。その主人公の姿は、著者のイプセンとも重なる。

よって、ボルクマンがイプセン自身であるという見方の可能性を、演出で示したい。」

 

豊島さん

「老人が自分の過去に審判を下す話というだけでは、興味を持ちきれなかった。

今回、古典戯曲をマイムで上演するという方向で探っていきたい。言葉を身体に託すには。人を矢印に例えてみたらどうか。」

 

西野さん

「ボルクマンとエルラの積極的なすれ違いを描きたい。

権力というものが気になっている。今回の上演で、自分の思う権力を表現出来たら。」

 

広田さん(ファシリテーター)

「目的、動機を明確にした上で、障害をどう乗り越えていくか。

ボルクマン、エルラの葛藤を生きてもらう為に。今回は身体、動くことに着目する。

とにかく俳優に動いてもらいながら稽古を進めていく。」

 

私は戯曲を読む際に、俳優としてこの役をどう演じようかと考えることはあるが、この作品をどう見せたいかというところまで視点を広げられてはいなかった。ぼんやりとしたイメージは持てても、自分から具体的にアイデアを生み出すことは出来ない。

読解で終わらず、「どう見せたいのか」という演出家の意図をくみ取る力は必要不可欠だと感じた。

そして、プレゼンの仕方というものがいかに大事であるか…。自信を持って語られる言葉には、圧倒的な説得力があった。

 

5人のプレゼン終了後、どの演出家の班を希望するか、全員参加の投票が行われた。その結果で班が振り分けられることに。(第一志望から第三志望まで希望者の名前を書く形式、ファシリテーター広田さん以外の4人が投票対象)

ここでそれぞれの演出家が獲得した得票数も公開。泉さん、西野さんの2人がリードする形となった。基本的にDWSでは、あらゆる情報はすべてオープンであるし、運営側も参加者1人1人の経歴を把握している。傷つく為には隠しちゃいけない。

私は、①西野さん、②豊島さん、③泉さんの順で投票。

西野さんは、人を引き付ける話し方が上手いと感じた。今、プレゼン全体を振り返ってみると、話の内容よりも、話している人間の姿の方が印象強く思い出される。プレゼン自体も1つのパフォーマンスであり、どれだけ説得力を与えられるかが重要であると感じた。また、西野さんが権力というものをどう捉えているのかが気になった。捉え方次第で、戯曲の解釈も大きく変わってしまう。そういう危うさを感じるからこそ、ここで、とことん権力問題に突っ込んでいけたらと考えた。

 

そして豊島さん、プレゼンからは緊張感が伝わってきた。途中、話が止まってしまう場面もあったが、もっと伝えたいことや、考えてきた細かなプランを沢山抱えているように見えた。マイムを使った創作と聞いて、興味が沸く。演劇の中で身体がいかに重要であるか、自身の俳優活動の中で考える機会が多くあり、身をもって探ってみたかった。マイムでこの戯曲をどう上演するのか。そして自分がその制作に関わっていくとしたらどうするのか…。

結果、私はこの豊島班に配属されることになる。

「マイム」とは何ぞや。とことん身体と向き合う日々がここから始まった。

 

投票後、班ごとに分かれて稽古開始。

豊島班は、軽く自己紹介をした後、早速体を動かすことに。舞台上を歩いてみる。

ただ歩くのではなく、空間を上手く使えているか、人が一カ所に密集していないか意識すること。その中で、指定された人の歩き方を皆で真似してみる。自分一人にならず、常に周りの環境、他者を意識することが求められた。

その後、ペアになって、相手が立ったら自分は座る、というようにお互いに相反する動きをしてみる。動きはどちらが仕掛けてもいい。攻める側と押される側が一瞬にして切り替わっていく。私もここまでは体験させてもらったが、自分の身体で、自らの立場の変化を明確に感じることが出来た。

そして台本に入る。初日は、俳優の身体に負荷をかけるというアプローチを中心に、豊島さんの考えてきた動きをつけていった。始めは、俳優自身が自ら負荷を生み出し、相手にかけていくというやり方をしたが、それだと「負荷がかかっています」という表現だけになってしまう危険がある。そこで、外部から負荷をかけるという方向でやってみることに。箱馬の上を歩いたり、男女の身体で棒を一本挟んで芝居を続けてみたり。その中で自分が置かれている状況や、相手との距離を感じてみること。台詞の言い方では無く、身体で感じられたことがそのまま言葉となって出てくる。

嘘の無い台詞は、身体を起点として生み出されるのかもしれない、そう思った。

 

稽古後は、経過報告。5つの班が上演していく。

どの班も同じ場面をやるのだが、それぞれ全く別の作品のように感じられた。

上演後は質疑応答。豊島班には、箱馬や棒は演出において何を表しているのかという疑問が飛ぶ。俳優にとって有効な道具が、観客にとってもそうだとは限らない。観客に見せる作品として有効な道具とは何だろう、と考える。

この日全体として問題になったのは、ボルクマンが求める権力について。ナポレオンを志す彼が求めた権力とはどういうものか、それをどう描くのか。次の日以降の各班の課題となる。

初参加の身としては、この時点ですでに質疑応答も鋭い質問や意見が飛んでいるように感じた。しかし最終日にかけて、このやり取りはまだ序の口にも及んでいなかったと気づかされることになる。

 

その後は班で集まり、反省会をして解散。

 

 

続く

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