ディレクターズワークショップ2018大阪 「3日目」

 

3日目。

戯曲の解釈を班全体で共有しようと、豊島さんを中心に話し合いから始まる。

ボルクマンをどう見せるかについて。

豊島班の俳優は、他班と比べて若い。その若さ、未来ある今の姿をそのままボルクマンに生かす、という方針で決定する。戯曲の中には、ボルクマンが過去を振り返るシーンがあるが、それも現在進行形の場面として描くことに。

それにあたり、豊島さんは戯曲全体のテキレジを行ってきてくれた。カットされた台詞も多くあるが、あくまで発語していないだけ、心の中で言っているのだと説明がある。そしてこの部分は特に俳優の動き、身体に委ねられることとなる。これは演出家が俳優を信頼していなければ出来ない行為だ。

 

言葉を発さず身体だけで男女の駆け引きを表現する。このシーンの稽古にあたり、豊島さんは「黙る」という行動に出た。班一同驚く。演出家が何も言わないので、俳優、演出助手、稽古場助手、皆で意見を出し合いながらシーンを繰り返す。私も自分なりの解釈や感じたことを伝えた。自分が創作に関わっているという実感を、ここで初めて持てたような気がする。豊島さんがこのような時間を与えてくれたことが、とてもありがたかった。

また、舞台装置や小道具に関して、演出助手が豊島さんの演出プランをさらに発展させた案を出してくれたり、俳優の方から、こう演じてみたいという新たな提案があったり。班の中で意見交換が行われるようになる。これまでは、豊島さんの方針に従うだけだったが、前日の反省もあり、一人一人の責任感に変化があったように思う。

 

経過報告、上演。

この日は舞台の準備に時間がかかり、他班と比べて質疑応答の時間が少なくなってしまったことがもったいなかった。

舞台の照明が終始暗く設定されているが、その明るさは上演に適切なのだろうか、という意見が出る。確かに電球1つでは俳優の表情を照らして見せることは出来ない。それでも観客が身を乗り出して見ようとする作品にしていきたくて。今回豊島班は、最後まで照明に頼らない選択をした。

私も観客としては、もっと表情を見たいという気持ちになった。だがそこを簡単に見せず、観る側に想像させる。それが逆に観客を引き付ける有効な手段となるかもしれない…照明一つにも様々な思いを巡らせる。俳優の見せ方について、こうして客観的に考えたのは初めてだった。

質疑応答全体として、昨日は厳しめの進行だったこともあり、運営側から「今日はどんな質問でもいい、うんこでもいいからとにかく投げてみろ」と声がかかる。

しかし私は、うんこを投げることすらままならない。うんこを製造するだけで時間が過ぎ、自分より一歩も二歩も先を読んだ質問が飛んでいった。

 

班の反省会。

翌日の最終発表について。今の方針のままより精度を上げて臨むことを決定。

ここで、それぞれがどんな思いでDWSに参加しているのか、という話もする。

3日目の稽古を通して、班全体の信頼関係が強くなったのを感じた。

 

解散後、この日の上演を録画したものを改めて見直す。

このシーン、もっと緩急があれば。この台詞、語尾を変えてもいいのではないか。こういう解釈で演じてみたらどうなるだろう…。

2日目までには無かった、様々な欲求が、ふつふつと沸いてくる。

俳優として自分が演じてみたいという思い、それはもちろんある。しかし同時に、自分以外の俳優にこう演じてもらったらどうだろう、観てみたいなあ…という思いも生まれてくる。

演出家はどういう目線で俳優を観察しているのか。俳優はどう演じたいと考えているのか。双方の思いを想像し客観視する。稽古場助手は、様々な角度からの視点を持つという点でとても鍛えられる立場にあると思う。

 

もう一日、自分がこの段階まで早く来れていたら、もっと具体的な案を班の中で提示出来た、そんな気がしてならない。

1日1日の重さを痛感した夜。明日で最後。

 

 

続く

greenkwn.hatenablog.com

 

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