ディレクターズワークショップ2018大阪 「経緯」
8/13~16までの4日間、ディレクターズワークショップ(通称DWS)に参加してきた。場所は大阪、ウイングフィールド。
内容としては、「俳優数名の協力のもと、既成戯曲を用いて4日間の稽古を行い、演出技能の向上を目指す」というもの。つまり、演出家の為のワークショップである。
今回は5つの班に分かれ、
班内稽古→経過報告(参加者全員の前で上演)→質疑応答
という流れを4日間くり返し進めていった。
班の中では5つのポジションに分けられる。
「演出、演出助手、男優、女優、稽古場助手(スタンドイン)」という形だ。
さらに班の外には見学者がいて、彼らは各班の稽古を自由に見てまわることが出来る。
DWSの概要を説明したところで、次に私自身の経緯を語りたい。
私は俳優である。しかし、私は俳優として自立出来ているのだろうか。
台本を読み込み解釈する力、意見やアイデアを持ち発信する力…これら必要不可欠な力が足りていないという焦りの中で、今何をすべきなのか模索していた。
そんな時にDWSの開催を知る。応募締め切り前日というタイミングで。
過去の参加者レポートを読むと、ひたすらに言語化を求められる環境であることが分かった。今の私に一番足りていないものが必須とされる。戦場のような場所だと感じた。
また、演出家と俳優の関係性にも興味があった。どのように関わり合い、演劇を創作していくのか。俳優として何が出来るのか、身をもって挑戦したい。
そんな思いと直感で、参加を決意した。
しかし返事は、残念ながらという結果に。
私はあきらめきれなかった。
ツイッターでこのワークショップの内容を知る側では無く、自ら参加して、発信する側に立ちたい。そして、今後控えている舞台にDWSの経験が必ず生きるだろう。その為には先送りにせず、今このタイミングで参加する必要がある。
見学枠に再挑戦することを決めた。
応募後に連絡が。ここで、見学より一歩踏み入る形となる「稽古場助手」という枠での参加を提案して頂く。
運営の方々が思いを受け取ってくれた。喜びと共に、責任も感じる。
こうして私は今回、稽古場助手としてDWSに参加することになった。
参加決定してから数日後、課題台本が届く。
ヘンリック・イプセンの「ヨーン・ガブリエル・ボルクマン」という戯曲。男女2人のシーンの抜粋である。
まずは戯曲全体を読み込んだ。私が読んだのは森鴎外訳と、毛利三彌訳のもの。
森鴎外訳は、昔の言葉遣いに読みづらさを感じたが、繰り返し読むうちに現代語訳のものと比べ細やかな描写がなされていたり、より過激な表現が使われていたりすることに気付く。(例えば「あなたはとんでもない罪を犯したのよ」という台詞、鴎外は「あなたは殺して上げても好い方です」と訳している)
そのうちに、鴎外にこの戯曲の翻訳を依頼した、小山内薫にも注目する。かつてこの小山内薫と、歌舞伎俳優の市川左団次が共に、自由劇場を結成。その第一回公演が「ヨーン・ガブリエル・ボルクマン」であり、日本の近代演劇の先駆けとなった。日本の演劇を変えるという痛切な使命感は、100年経っても全く色褪せることが無い。彼が今生きていたら、どんな現代劇を創るだろうか…と考える。
そしてイプセン。
彼自身は裕福な家の生まれだが、8歳の頃に家が破産、それから名声を得るまでの数十年間、非常に苦しい生活に耐え続けていく。しかしどんな状況下にあっても詩人であろうとする姿。ここは戯曲の主人公ボルクマンとイプセン自身の人生が重なり合うところである。私は、著者の生き様が戯曲の中に何らかの影響を与えているはずだと考え、彼の生涯を追いかけた。
こうして色々と寄り道をしながら、繰り返し戯曲を読む日々。
この時期は、いかに自分の力で台本を読めるのかという、自身の読解力に挑戦する期間であった。
そしてあっという間に、DWS初日へ…。
続く